秋水のロケットエンジンの試験場と燃料製造工場 足柄上郡山北町
2012年1月24日

【秋水エンジンの全力運転成功】 秋水の推進力を担うロケットエンジン(海軍製「特呂二號」)の1号機は、神奈川県足柄上郡内山村(現在の南足柄市内山)に建設された試験場で、昭和20年6月12日に3分間の全力運転に成功しました。この「特呂二號」ロケットエンジンは、陸軍製の同じ「特呂二號」とともに、6月27日に、横須賀市追浜の第一海軍技術廠に送られ、この内、海軍製エンジンが「秋水」試験飛行機に搭載されることが決まりました。陸軍製エンジンは柏飛行場で再整備されることになりました。

【海軍と陸軍の役割分担】 内山村での海軍製ロケットエンジンの全力運転が成功した一方で、陸軍製のエンジンも試運転に成功しています。秋水開発に際して、海軍と陸軍の役割分担が決まったのは昭和20年の試運転の前年、昭和19年7月20日のことです。横須賀海軍航空技術廠にて噴進飛行機開発に関する陸・海・民間合同会議が行われ、@海軍と陸軍が一致協力し秋水開発(一九試局地戦闘機)に臨むこと。A機体の製作指導は横須賀の海軍航空技術廠(浦郷町)が行う。Bロケットエンジンの製作指導は立川にある陸軍航空技術研究所が行う。C機体製作は三菱重工名古屋航空機製作所(三菱航空機設計)、ロケットエンジン生産は三菱重工名古屋発動機製作所が担うという業務分担が確認されました。この任務分担に基づいて陸軍は昭和20年6月14日に松本実験場において3分間の全力試運転に成功しました。
 では、なぜ海軍も独自でロケットエンジンを開発したのでしょうか。少し考察してみたいと思います。エンジン開発を担当する三菱重工名古屋発動機製作所(「研究所」との表記もあり)は、昭和19年12月7日に発生した東南海地震による被害を被り、一週間後の13日にはB29による爆撃を受け壊滅的な状況になりました。このような状況を受け、三菱重工名古屋発動機製作所の技師は海軍航空技術廠の「藤平右近大尉」と相談し、ロケットエンジンの試験を横須賀市追浜(夏島)の試験場に移設することを決定しました。ロケットエンジン開発班はその日の中にトラック8台に秋水関連の機材を乗せて横須賀市夏島にある海軍横須賀航空隊の夏島地下壕へと出発しました。しかし、先回りして横須賀市浦郷町の海軍航空技術廠の門の前で待ち伏せしていた陸軍の少佐に、「ロケットの開発は陸軍である」と入門を阻止されるという事件も発生しました。この頃から、ロケットエンジン開発をめぐり海軍と陸軍の確執が深まっていったのではないでしょうか。現に、三菱重工名古屋発動機製作所の技師から相談を受けた「藤平右近大尉」は、陸軍に任せておけないという姿勢で、山北の試験場設営を進めていったと言われています。

【試験場はどこにあったのか】 前置きが長くなりましたが、秋水のロケットエンジンの全力運転を行った山北試験場はどこにあったのでしょうか。試験場は昭和19年2月頃から、乙沢川南岸の内山村745付近に設営が始まり、20年4月に完成しました。現在は試験場の建物を起想させるものは残っていませんが、建設のための現場事務所は隣接する「保福寺(曹洞宗両澤山保福寺)」であったとの記述が残っています。実際に現地で「保福寺」にお参りをしている方達に尋ねたところ、「それは研究所と呼ばれる場所で、現在の改良住宅が建っている一帯ではないか」とのお答えをいただいたので、「保福寺」境内からやや南方向に足を進めたあたりだと推測できました。また、山北町地方史研究会発行の「足柄乃文化 No37」によれば、『農家の中の一棟がロケットエンジンの燃料である甲液(過酸化水素水)の貯蔵室になっており、「10メートル四方のコンクリートプールに焼酎甕(かめ)のような容量20リットルほどの藤蔓を巻いたガラス瓶に入れられた甲液が数10個、瓶の首まで水につかって貯蔵されており、甲液の爆発を防ぐため、周囲の回廊から腰板に至るまで水が打たれ、湿気を保っていた』との記述があります。
 横須賀海軍航空技術廠は、昭和20年2月、 『第一海軍技術廠(一技廠)』に改名 海軍航空本部を『第2海軍技術廠』としました。また、翌3月には発動機部から噴進部が独立、ジェットエンジンとロケットエンジン部門に分かれ、噴進部のロケットエンジン部門の研究者と海軍航空隊の「312空(秋水隊)」の整備兵が山北研究所へ移転して実験を開始しました。

 地元の方達が「研究所」と呼んでいたロケットエンジンの試験場付近の略図 (足柄乃文化No37 山北町地方史研究会)
 1.曹洞宗両澤山保福寺山門 
   試験所建設時は現場事務所となったという。
 2.保福寺境内から、試験場があったとされる改良住宅付近
   方向をみる。住宅地後方は斜面で「乙沢川」が流れる。
 3.試験場付近に向かう小道 新しい水道メーターの周囲に
   当時のものと思われるコンクリート管や礎石があった。
 4.こちらも畑脇の用水路に当時のものと思われる古い
   コンクリート製の用水溝が認められた。
 5.試験場跡地と思われる住宅地付近の裏手。きれいな水路に橋が架かっている。上記の地図から「乙沢川」か。

【ロケット燃料の製造 江戸川工業所山北工場】 山北町岸(キシ)、酒匂川の川岸に建つ「三菱ガス化学株式会社山北工場」この前身は「江戸川工業所山北工場」で秋水の推進燃料である過酸化水素水を製造していました。秋水は@80%高濃度過酸化水素水とAメチルアルコールと水化ヒドラジンを反応させて噴出力を得るもので、江戸川工業所は昭和初期から過酸化水素を生産していたことを考えると、川を隔てて約2kmの距離にある内山村「保福寺」付近にロケットエンジンの試験場を設営したことは納得が出来ます。なお、過酸化水素水を製造する過程で大量の白金電極が必要となり、当時の新聞・雑誌などを通じて広く国民に金の拠出が呼びかけられたようです。名古屋の三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所内にある史料室では当時の新聞が展示されています。また、過酸化水素水の製造は、ここ江戸川工業所をはじめとして、住友化学春日出工場(大阪)や第一海軍燃料廠(大船−−−横浜市栄区本郷台付近)などで生産されていました。

 秋水のロケット燃料である甲液(過酸化水素水)を製造していた江戸川工業所山北工場 (足柄乃文化No37 山北町地方史研究会)
 写真下の会社名のところに「過酸化水素水・ベルボン製造販売元」と書いてある。ベルボンとは化学名で「過ホウ酸ソーダ」といい、
 水に溶解すると過酸化水素を発生する薬品。
 (旧)江戸川工業所山北工場は 現在三菱ガス化学株式会社山北工場となっている。
 現在使用されていない正門は、江戸川工業所時代のものか重厚な雰囲気が感じられる。

【備考1 現地案内】 JR山北駅と試験場「保福寺周辺」、三菱ガス化学株式会社山北工場の位置関係は次のようになっています。

上記の「研究所付近略図」と比較してください。

 (写真左上) JR御殿場線 山北駅

 (写真左) 駅前に建つふるさと交流センターとセンター内の
        観光案内所で配布されている山北町観光マップ

 (写真 上) 山北町循環バス

【備考2ロケット燃料と滞空時間】 秋水は胴体後部に1100リットルあまりの甲液(過酸化水素水)と主翼に500リットルの乙液(水化ヒドラジン)を搭載、燃焼時間はやく6分30秒でした。局地戦闘機としてB29を迎撃するためには、1万mの高度まで時速900kmで3分で上りつめ、残る燃料で目標を補足して急降下しながら攻撃し、滑空して帰還するという「一撃離脱」戦法を想定していました。

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