ページ公開:2008年8月1日 最新更新日:2014年8月8日

表 画 像 タ イ ト ル/書籍情報 感     想
2014年8月8日 紹介

秋水の夏
三吉眞一郎 氏著

竹書房

ハードカバー
本体 1,500 円



横須賀市内を取材中の著者
 三吉眞一郎氏の史実に近いところで書き下ろした戦記小説。
秋水とヒロインの女性を描いた装丁も美しい。この小説は二通りの楽しみ方が出来る。一つは、終戦間際の防空情勢と技術考証がしっかりとしている軍事小説として。「秋水」意外にも実在した戦闘機の細かな描写は参考になる。もう一つは、主人公達と田浦国民学校の代用教員の倉田美津子と他の隊員との複雑な関係の中で展開するラヴストーリー(この部分はフィクション)としての楽しみ方がある。

 小説の序章は、今日高齢となった主人公夫妻が秋水試験飛行の当日を思い浮かべ、墜落地点に花を手向けるために追浜を訪れるという、映画プライベートライアンで、犠牲となった上司の墓を訪れるライアンのシーンを思い起こさせる。

 著者の作品に注入される考え方の源流は「戦いと命」だ。本小説中の『飛行兵達の体当たりと犬死にを巡る口論』や『とてもかなわない敵に遭遇したときの青空待避の方法』、また『決して荒むな必ず生還しろ』という登場人物達の言葉に、命の無駄遣いをいさめる著者の意志を感じる。

 空技廠内での失神者が続発する様な高々度減圧訓練の過酷さや、百里ヶ原基地での滑空訓練の様子は手に取る様な迫力がある。また陸軍の戦闘機「鍾馗」が、からかい半分で秋水隊の訓練を標的に飛び込んでくるシーンなどは実際の証言もあった様だ。

 試験飛行で殉職した犬塚大尉を本小説では大塚大尉として、登場させている。後半の試験飛行シーンまで一気に読み進めることが出来る秀作だ。


     小説にも登場する空技廠風洞実験棟




原稿をまとめ文庫化

2014年2月8日紹介

航空ファン 文林堂
1999年1月号
1999年2月号
(短期連載)

『秋水一閃』

渡辺洋二 氏著












太平洋戦争日本軍用機秘録
『異端の空』

渡辺洋二氏 著

2000年7月10日 発刊

文春文庫
514円+税

 現代航空史の第一人者である渡辺洋二氏の『秋水』に係る論文は原稿用紙120枚の大作となり、月刊誌航空ファン、1999年1月号と2月号に分載されて発表された。

 場所・人物・組織・時間軸の検証と解説が大変にわかりやすく、『秋水』のことを短時間で知りたい読者には是非おすすめしたい。
その理由は、秋水の開発から試験飛行に至る経過が、三菱重工を中心としながらも、機体とロケットエンジンそれぞれについて陸軍と海軍に分かれ、そこに「海軍312航空隊(秋水飛行隊)」の配備態勢、そして、航空燃料の供給体制など全国各地で複雑な分担が行われ、本書はこれらを時系列で追い、かつ俯瞰的に観ることが出来るからだ。

 ・ ドイツから決死の航海により届いたわずかな図面を補うために、10回もドイツに打電し、ドイツからの返信を空技廠の女性秘書が翻訳していた点。

・ 秋水飛行隊の司令である柴田武雄大佐が新興宗教「お光り様」を信仰しており、様々な決断においても「お告げ」のようなものを信じたフシがある点。

 ・ 試験飛行当日の予想外の機体降下について、もし犬塚大尉が試験飛行に至るまでに、霞ヶ浦航空隊にて重滑空機で反復練習を行っていれば、あるいは進路を修正できたのではという疑問を呈している点。

 など、様々な史実と疑問が交差している。当時の写真を豊富に用いており、また、秋水の墜落地点を様々な証言から地図を用いて複数の想定を行っている点は興味深い。掲載されている多くの写真のうち、つぎの横須賀市夏島におけるロケット噴射実験の写真については、山形県在住寺岡嵩氏(当時 日飛山形派遣 空技廠飛行整備主任)から頂戴したものが手元にあるので公開する。


「秋水」の機体後部を取り外しロケットの噴射実験

 渡辺洋二氏の「秋水一閃」の原稿は、他の「震電」や「二式大艇」等の航空機に関する論評とともに、「異端の空」という文庫にまとめられ新装出版された。


文庫本表紙
著者サインと雅号印 
2014年2月2日紹介

「零戦」後の陸海軍機開発秘話
『幻の戦闘機』


碇 義朗 氏 著


2003年9月13日発刊

光人社NF文庫
648円+税

 著者の碇(いかり)義朗氏は、陸軍航空技術研究所を経て横浜国大を卒業し、特に戦時航空分野に関する数々の著書を残された。近年では新幹線やハイブリッドカーに関する著書もあるが、「海軍空技廠」、「さらば空中戦艦 富嶽」や「紫電改」に関する著書はどれも読み応えがある。一昨年に他界された事は残念だ。

 本書は、昭和55年に発刊された「幻の戦闘機」に海軍十八試『陣風』などの解説を補強して出版された新装版。

 陣風、天雷、電光、閃電、火龍などあまり聞き慣れない幻の戦闘機の解説が興味深く、それぞれが短い単元にまとめられているので読みやすい。幻の戦闘機たちには共通項がある。それは、①敗戦色が濃くなり連合軍が本土を伺うぎりぎりの状況で開発が始まった。②実用化を急ぐあまり綿密な審査が出来ずに試験飛行への焦りがあった。③コクピット与圧や排気タービンなど高々度戦闘に対する技術的な劣勢があった。などの点が挙げられる。本ホームページのテーマであるロケット戦闘機『秋水』も例外ではない。

 本書の中で『秋水』はトップページを飾っている。特徴的な記事を挙げれば、
①三国同盟国のドイツは(日本が単独に降伏するのではないか)という危惧があった。そのためか、技術交換協定があるにもかかわらず、酸素魚雷などのデータのみならず、タングステン・錫・亜鉛など相当量の資源と交換でMe262やMe163の資料を手に入れる事が出来た。
②資料を持ち帰った巌谷中佐の考えでは、ターボジェットMe262の資料が重要だと考えていたが、至急必要とされていたのはMe163(コメート)であった。
③無尾翼グライダー「秋草(MXV8)」が空技廠により3機完成。百里原基地での犬塚大尉による試験飛行では「舵、安定、釣り合い良好」と評価された。
④実機による試験飛行は、万一の不時着を考え、当初計画されていた厚木から追浜飛行場へ変更。
など、興味深い記事が多くあるので一読をお勧めする。

(左)本文中に挿入されている「Me163」のコクピットの写真。
 (右)は復元された「秋水」のコクピット。
 三菱重工名古屋航空宇宙ステム製作所史料室にて展示。
2013年8月10日紹介

日本唯一のロケット戦闘機
『秋水』
-その源流を探る-


牧野育雄氏 著


2010年7月7日発刊
部数限定出版
2006年に出版された牧野育雄氏の著書”最終決戦兵器『秋水』設計者の回想”の追補版とも言える。本ページ下段参照

『日本唯一のロケット戦闘機「秋水」とドイツのMe163「彗星」』という副題が示すとおり、本書では秋水のロケットエンジンである「特呂二号」とMe163に搭載された、「ワルター・ロケットモーター」との比較を徹底的に行っており、読み物というより技術書に近い。記述はわかりやすく、例えば秋水の「特呂二号」エンジンにおいてT液とC液がどのような行程でタービンを回し燃焼装置に入り推力を得るかという原動機系統の説明は素人にも大変わかりやすく理解できる。(下図)
 

その他にも、無尾翼機特有の空気抵抗や揚力の問題、滑走路の整備条件(Me163)、日本が現在世界に誇る2液ロケット「H2A~B」の源流となった秋水のロケットモーター、など興味深い記述が多く見られる。

また、ロケット開発拠点を横須賀航空隊内に移し、噴射実験を行っていた際の爆発事故の現場写真など貴重な画像も掲載されている (爆発時の画像は別ページへ→)

著者近影
2012年10月21日紹介

P51ムスタング空戦記

第4戦闘航空群のエースたち

ジェイムズ・A・グッドソン
野田昌宏 訳

1993年5月20日
早川書房
定価 1900円
 ジェット戦闘機「橘花」(特攻機として運用される予定だった)が参考としたMe262や、ロケット戦闘機「秋水」が参考にしたMe163と、ドイツ上空で実際に遭遇した空戦記はめずらしい。

   
    写真上は P51 ムスタング編隊

 著者はベルリン空爆作戦の中で、Me262と遭遇し、また飛行場に駐機していたMe163に対して攻撃をかける途中で撃墜をされる。残念ながらMe163との空戦はなかったが、Me262については次のように記述している。

 『われわれの編隊後上方から大気を引き裂くように急降下してきた。そのすさまじい速度の前に我々の戦闘機や爆撃機は空中に静止しているかのようだった。背後からB17爆撃機に迫るとたちまち機体は黒煙をあげて編隊から離脱していった。Me262はそのまま我々の前方に一気に飛び抜け姿を消していった。』

 また、著者はMe163についても次のように論評している。
『ヒトラーはこのMe262よりももっと危険な秘密兵器を持っていた。それはMe163戦闘機でロケットエンジンでさらに高速だ。この戦闘機が一撃離脱で我々の編隊に突入してきたら援護戦闘機は追いつけずに、爆撃機の機銃手も火力を集中する余裕はとてもない。Me262よりも部品点数が少なく大量生産に適しており、月産500機が一撃離脱をかけてきたら、我々は一回の出撃ごとに多くの航空機を失うことになる。』

 著書の原題「TUMULT IN THE CLOUDS (雲間の興奮)」にふさわしく、パイロットならではの空中戦記が展開する。











2012年2月21日紹介

歴史群像 2010年8月号

秋水開発物語
柴田一哉氏 著

2010年7月6日発売
学研 定価980円






鍾馗戦闘機隊

陸軍航空審査部特兵隊の記録
柴田一哉氏 著

2009年1月12日
株式会社大日本絵画
定価 3,300円+税
 「有人ロケット戦闘機 秋水」の項目で紹介した柴田一哉氏は第一線の秋水研究者として数々の解説文を発表するとともに、フィールドワークやシンポジウム等の活動も積極的に展開されており、当「秋水プロジェクト」のホームページにもご意見をいただいている。

 今回紹介の2冊中での柴田氏の解説文を読み解くと、秋水の開発から試験飛行に至る、技術者・用兵側・搭乗員の問題解決に至る努力や、さらに海軍と陸軍の開発への関わり方ががよく理解できる。

 ① 歴史群像 2010年8月号
 「有人ロケット戦闘機実用化への挑戦」という記事の中で、秋水の組み立てが「扶桑101工場」と呼ばれていた日本飛行機山形工場で行われ、量産1号機の完成にこぎ着けたことが書かれている。このことは日本飛行機の社史にも掲載されていないことで、綿密な取材の成果であろう。
 また、大船の海軍第一燃料廠から陸軍柏飛行場へのロケット燃料輸送ルートについても図で確認できる。
 貴重な写真も見ることが出来る。本文に秋水の離陸写真(昭和20年7月7日犬塚大尉搭乗の試験飛行)が掲載されているが、現存する秋水の動力飛行の写真としては唯一のものであろう。
 変形A2版の秋水CGポスターが付く。

  ② 鍾馗戦闘機隊
 本書前半では、千葉県柏飛行場に本土防空のために配備された「鍾馗」の愛称で知られる陸軍二式単座戦闘機による陸軍飛行第70戦隊の詳細が記されている。
 後半の第3章では「陸軍航空審査部特兵部"特兵隊"の記録」として、「秋水」や幻のジェット戦闘機である「火龍」の実験を担当する「特兵隊」の6名の陸軍テストパイロットによる中間滑空練習機「秋草」による訓練を中心に、海軍・陸軍両サイドからの開発の様子がわかりやすく書かれている。本書の特徴として、柏飛行場滑走路上空を滑空する軽滑空練習機「秋草」の写真や九九軍偵に曳航されている同「秋草」の写真など、今までに公開されていなかった写真が豊富に掲載されていることが挙げられる。
 また、陸軍柏基地に配備されたのは、「秋水」実機1機(302号機)、軽滑空機「秋草」2機(空技廠三号四号機)、重滑空機1機の計4機の秋水関連機であることを、資料を分析した結果明らかにしている点が重要。
表紙写真は右欄に 2012年2月15日紹介

或る陸軍特別
幹部候補生の一年間

副題:ロケット戦闘機
「秋水」実験隊

福田禮吉氏著

2002年10月15日発行
株式会社 文芸社
定価1200円+税

 陸軍における秋水(陸軍制式番号はキ-200)の飛行訓練を記した著作物はあまり多くない。本書は、第七航空教育隊(浜松)に特別幹部候補生として志願した少年航空兵である著者が、千葉県柏市外豊四季の柏航空隊で秋水の実験を担当する「柏派遣隊」として、秋水に搭載予定の30mm機関砲やロケット燃料の圧送コンプレッサーの実験の様子を回顧している。

 陸軍の秋水実験部隊は、現在の米軍横田基地に昭和17年に開設された陸軍航空審査部内に置かれ、昭和19年になって、機体・燃料・エンジン関係は長野県松本市へ、飛行訓練・計器・武装・誘導などの機能は「柏派遣隊」が担った。

 本書の中でも、30m機関砲の破壊力の記述、横須賀航空隊から受領した機体(本文では秋水実機となっている)を胴体と機体に分けてトラックで慎重に移送する様子や、一機しかない秋水実機を空襲から必死で守る様子が興味深く描かれている。

 本書の装丁写真は、「日本の名機100選」の著者である田中祥一氏提供のものであると記されているが、そこに写っているのは、左上空に滑空飛行する秋水の滑空練習機である「秋草(MXY7)」と右滑走路上にもう一機試験機とみられる機体がある。
2011年8月20日紹介

日本ガイシ75年史

1995(平成7)年刊行
日本ガイシ株式会社

非売品




容器に焼き付けられた
日本碍子のマーク

(写真上左) 研磨・組立前の耐酸磁器製品(人物との大きさ比較が出来る) (写真上右) 「日本碍子(当時の社名)」製の容器、直径約25cm、高さ約50cm 詳細な記録は残っていないが、「臭素容器」という情報がある。

 呂号甕(かめ)の件で問い合わせに対し、親切な対応をして下さった、日本ガイシ(株) 電力技術研究所の方が、「日本ガイシ75年史」のなかに、秋水の記述があることを教えて下さった。
 まず、呂号甕については、「耐酸磁器」という記事の中で、ロケット燃料である濃縮過酸化水素水の必要量について月産3000トンが見込まれ、鉄分を含まない陶磁器の使用が最適とされ、日本ガイシ(株)にとっても急速な増産が至上命題となった。と記述されている。
 また、全国の陶磁器事業者が動員される中で、日本碍子(株)の社長や役員が呂号委員会第四分科会の組織の中核を担ったことが記述されている。
 秋水の飛行に関しては、「横須賀の海軍追浜飛行場で初めての試験飛行が行われたが、上昇途中でエンジンが停止し、失敗に終わった。当社のみならず陶磁器業界全体を巻き込んだ呂号兵器プロジェクトは、当初の目的を達成することなく、終戦を迎えたのである」と結んでいる。

日本ガイシ(株)様より掲載のご承諾をいただいており、写真・文章の加工転載についてはご遠慮願います。
2011年8月4日紹介

野辺山海軍航空隊

1995年11月10日発行

株式会社 櫟(いちい)
中村勝実氏 著
定価2000円
在庫無し
 ロケット戦闘機「秋水」ははたして特攻機だったのか
 野辺山高原に展開する1200名の大訓練部隊の目標は?
 なぜ野辺山が訓練地に選ばれたのか?

 訓練隊員の証言も交えて興味深い記事となっている。
 秋水関連の参考書としても郷土史としても貴重な書籍。

 詳細は別ページに記載 本の表紙かこちらをクリック
2011年1月4日紹介

目で見る小牧南工場50年史

2003年2月28日発行

発行者 三菱重工名航
     小牧南工場史料室
発行人 小牧南総務グループ長
編集者 岡野允俊(史料室長)

非売品
 昭和27年4月、講和条約の発効により8年間に及ぶGHQの占領が終わり、独立国としての日本国がスタートする。8月になり航空機の製造が許可されると、三菱重工は早速小牧飛行場隣接地に本格的な航空機工場の建設に着手した。そして、米軍から航空機の修理の受注を受け、技術者による新たな技術の研鑽とともに工場は拡大し、現在の三菱重工の航空宇宙システム製作所の基礎を創り上げた。

 戦前の三菱重工は大正9年に三菱内燃機製造株式会社名古屋工場として発足以来、陸軍乙式練習機(145機)、海軍九六式艦上戦闘機(782機)、零式艦上戦闘機(3880機)、海軍一式陸上攻撃機(2416機)、海軍局地戦闘機雷電(470機)、陸軍四式重爆撃機飛龍(606機)など日本を代表する軍用機を生産してきた。もちろんその中には、三菱試作局地戦闘機「秋水」(5機)も含まれている。

 本50年史には、戦後の民生用ビジネスジェットや戦後国産初の自衛隊ジェット練習機、高性能ヘリコプターの完成などの輝かしい記事が一覧できる。そんななかで戦前の逸話としてゼロ戦の輸送を振動を防ぐために馬車で行ったなどという、ほほえましいスケッチもある(下)。

 秋水の記事は、年表のなかで1997年11月に残存機体の寄贈を受け、1999年9月に復元工事に着工、2001年12月に修復完成公開し見学者が相次ぐという記述がある。また、秋水の名前の由来を「秋の流水のように曇りなく研ぎすました刀」のイメージでB29を迎撃し切り落とすと記述している。
2010年12月5日紹介

日本飛行機60年史

掲載許可
日本飛行機株式会社

非売品につき

川崎市川崎区富士見にある
神奈川県立川崎図書館
 (044-233-4537)
にて貸し出し可能
 秋水の復元機は、神奈川県横浜市金沢区にある日本飛行株式会社の(旧)富岡製作所敷地内から発見された未完製機を、三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所でコンピュータ処理し図面をおこして完成させたもの。
 日本飛行機60年史には次のように記述されている。

 『敗色が濃厚になった昭和20年に入ると、5月、軍需省からの工場秘匿指令により富岡製作所の名称は「皇国第2736号工場」へ変更された。また、ドイツから入手したわずかな資料を基に三菱重工が設計したロケット式局地戦闘機「秋水」数機分の製作を手がけることとなり、富岡・山形両製作所でそれぞれ製作作業を進めたが、富岡製作所では6月と8月に受けた空襲被害により残念ながら完成を見ず、工程の30%から70%の段階で終戦を迎えることとなった。のちの昭和60年6月、敷地の東隅にある工場建物の拡張に先立って行った整地作業中、地中から未完成の秋水1機が発見された。おそらく終戦直後、当時の関係者が進駐軍に没収されるのを嫌い埋めたものと思われる。同機体は昭和38年2月防衛庁(現在の防衛省)へ寄贈し、現在は(管理者注:原文のまま)航空自衛隊岐阜基地に保管されている。ちなみに山形製作所では昭和20年6月末に1機完成し、横須賀海軍航空隊追浜飛行場での試験飛行に供せられた。』

 以上の記述から、日本初のロケット戦闘機『秋水』の試験飛行機体は、日本飛行機山形製作所で完成された1機を用いたものであると考えられる。

 (同史 挿入写真より 地中より発見された「秋水」の機体)

 (同史 挿入図より 富岡製作所建物配置図→拡大)
2010年11月3日紹介

母 - オモニ -
(母の言葉に導かれ
私たち家族は生き抜いた!)

姜尚中(Kang Sang-Jung)氏
集英社

2010年6月9日
¥1,200
 太平洋戦争末期から終戦直後の食糧難の時、私の母は(私の)祖母と、横須賀から一日がかりで千葉の農家まで出かけて、貴重な衣類などと交換した米や野菜を譲り受け、必死の思いで帰途につくと、駅の入り口で屈強な男達(闇取引を取り締まる警察官がどうかは定かではない)にせっかくの食料を没収されて、うなだれて横須賀へ帰り、翌日にまた気を取り直した祖母は、私の母の手を引いて食べるものを求めて出かけたという話を聞いたことがある。本書「母(オモニ)」を読むと、いつの時代どこの国でも「母」の存在は、家族特に子どもを守るために生活への不安や自己の体力の限界に打ち勝ち、強く温かい存在に変わっていくものだと、目頭が熱くなるような記述が随所に出てくる。
 さて、本書「母(オモニ)」のなかに、「秋水」の記述が登場する。姜氏の叔父、姜大成(テソン)氏の所属する憲兵隊が設置された熊本市健軍に、三菱重工業名古屋航空機製作所の分工場が官設民営により設置され、B-29の迎撃用の秘密兵器であるロケット戦闘機「秋水」が生産開発されようとしていたと書かれている。

 かつて三菱重工業の分工場かあった熊本市健軍は、健軍飛行場も整備されており、現在の熊本市東町(ヒガシマチ)1丁目~4丁目にかけての広い敷地であった。現在は、陸上自衛隊健軍駐屯地、陸上自衛隊西部方面総監部、税務大学、県営住宅などの施設が所在する。
 陸上自衛隊敷地中央の大きなギザギザ屋根の建物が、分工場かまたは四式重爆撃機・キ-67「飛龍」を生産した本工場かは未確認。
2010年9月8日紹介

週刊毎日グラフ
1967年12月17日号

特集
「アメリカにあった
旧日本軍用機」

毎日新聞社刊
120円


当時の日産セドリック広告
 43年前の写真誌だけに、掲載広告を見ると年月の経過を実感できる。終戦時、多くの日本軍機が調査のために接収され合衆国に移送された。性能評価などを行う目的だった。

 本誌は、アメリカ各地に点在する40数機を取材し、保存状態などを22ページにわたり報告している。カラー写真も多用されている。秋水の写真は、ロサンジェルス オンタリオに展示されている機体が掲載されている。

 他にも「零戦52型」「紫電改」「雷電」「強風」「桜花」「天山」「疾風(はやて)」など良好な保存状態を示す写真もあるが、雑草にまみれ朽ちている機体を見ると、無念と畏怖の感情がわいてくる。

 秋水は思想的には地対空ミサイルにつながる局地戦闘機だが、1年あまりの開発期間でほぼ完成にこぎ着けた技術を、史実として記憶・保存したいという編集者のコメントが掲載されている。
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 また、秋水と同様に横須賀海軍航空技術廠で開発された、ジェットエンジン「ネ20」を搭載した、特別攻撃機「橘花」が野積み梱包されている写真など貴重な写真も掲載されている。

        (調査・撮影は広田厚司氏)
2010年8月29日紹介

南牧文庫
戦争と村民

(豊かな自然をは育む
南牧を永久に)

南牧村教育委員会
¥300
 南牧村村史からの抜粋版で南牧村歴史民俗資料館で購入できる(長野県南佐久郡南牧村野辺山駅前 ℡0267-98-3288)。
 高原ならではの、自然と心豊かな生活環境の南牧村においても、戦争の影響は大きかった。この文庫では、明治6年の徴兵令から日清・日露・太平洋戦争の惨禍を経て、終戦後過酷な開拓を行ったことが現在の「高原の村」の礎となった事がよく理解できる。
 そのなかで、秋水関連の記事としては、日本本土への爆撃が激しくなった昭和20年春、全国の航空隊より選抜された「三重海軍航空隊特一部」の1196名が、新鋭ロケット戦闘機「秋水」の搭乗員となるために、野辺山基地に派遣され、「丸山」を中心に連日過酷な滑空訓練に励んだという記述がある。

 是非、現地を訪れて八ヶ岳連山の下「丸山」の自然を眺めたうえで、この文庫の記事を読まれることをお勧めする。 

( ↑ 本文中より滑空訓練の練習の様子)
2010年8月29日紹介

大人から子どもまでわかる
戦争実話

日本初ロケット戦闘機
金沢美千代氏著

2006年11月1日発行
東京文献センター
¥1,200
 横須賀の海軍航空隊、追浜飛行場の整備兵だった父と娘の会話をもとに、当時の航空隊での生活を回想している。
 秋水開発の過程で、機体後尾部分がロケットの噴射熱で溶けてしまうことが、開発の遅れの一因だということを、父の回想という形で、述べているが、他の文献ではそのような指摘が見あたらないことから、引き続き確認していきたい。
 父の口から聞いた秘密兵器開発の史実を後世に残したいという娘である著者の強い気持ちが文面から伝わってくる。
 ページの左端にロケットのパラパラ漫画がついている。本文中に「はしごのようなロケット発射台」について父が語っている事から、秋水をこの発射台から飛ばしたいという著者の気持ちの表れか。
←パラパラ漫画
2010年6月1日紹介

最終決戦兵器
『秋水』
設計者の回想

牧野育雄氏著

2006年2月14日
光人社
定価 2,000円







長期間にわたり著者のお名前
を「北野」と誤表記していた点、
著者の牧野育雄様にご迷惑
をおかけしたことをお詫び申し
上げます。
 秋水の試験飛行までを、技術者の視点から追った資料であり、他の書籍には明らかにされていない史実などもある。特に、海軍航空隊司令の柴田武雄大佐とテストパイロットを担当する犬塚豊彦大尉が試験飛行について念入りに打ち合わせを行い、「当時海軍での試験(初)飛行時の燃料搭載量は60%であることを参考に、T液およびC液の搭載量を決め、75秒間の全力上昇をして、高度2,000mで2回旋回した後帰還する」などの手はずを整えたことなどが記されている。
 しかし、この燃料過小積載が、上昇時に燃料が後ろに引かれ薬液取り出し口が露出し、空気を吸い込みエンジンが停止する事態となったことは大変残念だ。

↑本文中には技術的なスケッチなどが多く挿入されている。

 また、試験飛行時墜落により重傷を負い病床にあった犬塚大尉が、『秋水は横揺れや捻れもなく操縦性はきわめて良好である』という言葉を残して、翌日未明に殉職した事、さらに事故調査査問委員会のなかで、三菱の設計担当課長はひと言も弁明をせず、柴田大尉も事故の責任を一身に負う発言をしたことなどが、印象に残る。
2010年5月3日紹介

別冊「1億人の昭和史」
日本航空史
陸・海軍航空隊の全容

1979(昭和54)年5月25日
毎日新聞社
定価 1,500円
 目で見る昭和史的な写真誌。残念ながら「秋水」についての記載はないが、巻末に空技廠試作滑空機『秋草』の写真が掲載されている。海軍横須賀航空隊やカタパルト射出発艦についての記録も貴重である。海軍航空隊追浜飛行場の写真が掲載されている

↑ 秋水搭乗員のための木製滑空練習機『秋草』

↑ 空技廠/横須賀航空隊追浜飛行場の航空写真。 夏島付近の埋め立て工事開始は大正7年なので昭和の完成期頃か。

↑戦時中捕獲接収したものかB17爆撃機が「日の丸」をつけ飛行している写真。
2009年12月30日紹介

「Raketejäger
Messerschmitt Me 163」
-Wie ein Floh, aber oho!-

1988年12月号
 友人から寄贈を受けた貴重なブックレット。あまりドイツ語には詳しくないので正確ではないと思うが、タイトルは日本語にすると
『ロケットハンター メッサーシュミットMe163 -一撃離脱だ!-』というところか。
 「秋水」の手本となったドイツ製Me163「コメート」の詳細について写真が満載されたいる。中でも、推進ロケットである「ワルターエンジン」を秋水の木型の後方に固定して、線路上の滑走路で噴射試験を行っている写真は迫力がある。

 巻末には、「秋水」の滑空練習に用いられたグライダー「秋草(MXY8---Yは横須賀の航空技術廠を示す記号)」の写真や、Me163と「秋水」との諸元比較が掲載されている。

 
2009年10月8日紹介

航空ファン
1961年4月号

文林堂
定価150円
 ロケット戦闘機「秋水」の全貌という特集記事のなかで、ロケットエンジンの構造と動作原理が述べられている。また、元陸軍航空審査部の荒蒔義次氏による「秋水の計画を回想して」というインタビュー記事がある。
 その中で、3分以内に10,000mの高度に上昇するための減圧訓練の必要性、秋水パイロットには特別に豪華な食事が出たこと、ドイツのMe163でも着陸時の加速度(-G)と衝撃で骨折する者も多かった事などが述べられている。

 掲載写真も、完成直前の写真やあまり他誌では掲載されていない完成直後の「秋水」などを見ることが出来る。

↑ 完成直前の「秋水」

↑完成直後の「秋水」

 また、特集記事とは関係ないが、「M163 コメート物語」や秋水パイロットの多くの出身地である「海軍航空隊元山基地」のスナップ写真が貴重だ。

↑ 元山基地に並ぶ零戦練習機 復座式である点に注目
2008年8月1日紹介

Classical Fantasy Within
第1話 ロケット戦闘機「秋水」

島田荘司氏 著

講談社
2008年1月7日 発刊
本体定価 980円
 ファンタジー小説というジャンルで、「特呂二号ロケット・エンジン」の構造や終戦間際の「秋水」誕生の必然性などについてもわかりやすく記述されている。
 著作者の島田荘司氏は「ゴッド・オブ・ミステリー」と呼ばれる」探偵ものを得意とする作家である。
 ストーリーは、小学生の「しんちゃん」と母親そしてその母親を取り巻く二人の男性(伯父と海軍航空隊のパイロット)により展開していく。 この小説では秋水の試験飛行が追浜飛行場ではなく「霞ヶ浦航空隊」で行われた設定になっている。「しんちゃん」の母に恋心を抱くパイロットの秋水初搭乗と離陸までの様子は臨場感があり、エキサイティングだ。実在したロケット戦闘機と、夢の「怪力光線砲」が同列で語られているところはまさにファンタジー小説だ。(2008/08/01)
2008年8月1日紹介

日本初のロケット戦闘機

 秋 水 

松岡久光氏 著

三樹書房
2004年3月25日 初版発行
本体定価 1900円
 秋水の入門書であり、かつ詳細にわたる研究書である。
 著者の松岡氏は、三菱重工業株式会社の取締役、特別顧問を歴任したエンジン開発者である。本書は、秋水復元のプロジェクトをきっかけとして、第二次世界大戦末期に秋水の開発に係わった先人達の苦難と努力を検証し、このロケット戦闘機の歴史的価値を保存しようという熱意に満ちている。
 昭和38年に横浜市杉田の日本飛行機の土中から発掘された秋水の朽ち果てた写真や、追浜飛行場から離陸直後の秋水の写真など貴重な写真が豊富に掲載されており、開発から試験飛行までの過程がわかりやすく記述されている。名古屋航空宇宙システムの資料室でも販売されており、秋水のオフィシャルガイドブック的な存在である。
 巻末の「秋水制作経緯」の年表も興味深い。(2008/08/01)
2008年8月17日紹介

神風になりそこなった男達
 ロケットファイター秋水隊

高田幸雄氏 著

国書刊行会
1992年5月15日 初版発行
本体定価1456円 
 昭和19年8月、朝鮮元山海運航空隊のデッキに集まった、16名の少尉に対して「Me-163に充つ」との命令が下り、それが何を意味するかもわからないまま、ここに秋水戦闘機隊、後の第312海軍航空隊が産声をあげたのである。
 まさに、「秋水隊」の一員であった著者による訓練の様子が肌に伝わってくるようなドキュメンタリーである。ハリネズミのような防御砲火を持つ「超空の要塞B29」に対して、背面ダイブ攻撃の戦法を論議する場面などは臨場感に満ちている。零戦でもヘタクソがやると高度1万メートルまで上がるのに「秋水」の10倍はかかるなど、高々度迎撃の難しさも理解できる。
 著書の結びに書かれている『一見、尊い命と無駄な労力を費やした一連のプロジェクトではあったが、平和な工業国日本の技術の礎となったことも記憶にとどめておきたい』という文章が印象的だった。 
2008年8月17日紹介

海軍第312航空隊
秋水隊写真史
有人ロケット戦闘機 秋水

柴田一哉氏 著

株式会社大日本絵画
2005年8月31日 初版発行
本体定価 3800円
若手の映像技術者による秋水の資料集である。

各隊員の姿や機体の貴重な写真が多く掲載されている。立体図による補強解説も充実しているが、なんと言っても、興奮させられるのは、付録DVDの初飛行をシミュレートしたCGムービーだ。離陸後車輪を投下し、上空でエンジンが停止した後に、危険回避のために甲液を排出して旋回して追浜飛行場に帰還するシーンは、隊員達の証言に基づき再現したものだろうが緊張感がある。

ちなみに、本ページで紹介した、島田荘司氏著「ファンタジー小説 秋水」では、秋水のエンジン停止後の帰還の際に、霞ヶ浦で漁をする漁民の安全を考え、あえて燃料投棄を行わず思わぬ結果を招くことになっている。
2008年9月23日紹介

海鳴りの響きは遠く
宮城県第一高女
学徒勤労動員の記録

神谷恵美子 監修

草思社
2007年7月31日 初版発行
本体定価 1500円
 (文中より抜粋)
「噴進器の実験があり無理して(見学に)車に乗せてもらった」。「追浜にロケット実験を見に行ったことがある。点火されたロケットは青白い炎を噴射して一瞬のうちに激しく燃え尽きる」「青く銀色に輝く海の中に美しい炎の色とともに私も吸い込まれていく・・・・」「追浜の空技敞で噴進器の領収実験を見学、空地に固定して電流で点火・・・・」など秋水関連の記述がある。

 この女子学生達の記録の中で出てくる『噴進器』が特攻/迎撃用「橘花」用のジェットエンジン「ネ20」なのか、「秋水」用のロケットエンジン「特呂2号」なのかははっきりしないが、「ネ20」は専ら秦野や中島飛行機小泉工場で組み立てられていることから、この記述は「秋水」を指すと考えられる。

 昭和19年10月仙台の第一高等女学校に学徒勤労動員令が下った。学生達は横須賀市逗子町桜山沼間(*)にある横須賀海軍工廠逗子沼間寮で集団生活を送りながら、久木火工工場(現在の池子弾薬跡地)で弾薬の重点作業などに従事した。

 寮のトイレの不潔さ(ウジ虫とのたたかい)や、日々の緊張感の中で鎌倉や戦艦三笠に観光に行ったことなどについて、うれしさ悲しさを素直に書き綴っている日記を編纂したものだ。
 (*)逗子市は1950(昭和25)年に横須賀市が分離して市政を布く



(右欄間の写真)
B29の胴体から発進した「BELL X1A」が、時速2,800kmを記録したという記事も掲載されている。
 まさに、55年前の雑誌であることが実感できる。
2009年1月15日紹介

航空情報
 1954年8月号


酣燈社



 友人から頂いた55年前の航空雑誌である。真珠湾攻撃に出撃した、源田実(元大本営海軍航空主務参謀)氏が参加した『来るべき航空戦を予測する』という座談会記事があり、その中で、「将来原子力機動部隊をもてるのはアメリカだけである」などの重要な指摘をしていることから、いわゆる「古書」としての価値も高いだろう。

 さて、本誌の中に、『イギリスから見た桜花・秋水・橘花』という記事がある。秋水を特攻機と同列に論評している点は当ホームページの趣旨と異なり不満があるが、当時の新聞記事からの引用が興味深い。そのまま掲載する。『1946年1月10日号のニュースより・・・・・ホンシュウのヤワガタにある工場から8機のロケット推進単葉機が発見された。それらは種々の制作過程にあったが、完成機はなかった。この防空戦闘機はメッサーシュミットMe163に似て後退翼をもち水平尾翼はなく、投下式降着装置と胴体下面に引き込み式着陸用橇(ソリ)を有し燃料には過酸化水素水を使用していた。単座機で武装は機関砲2問である。』『1944年に、日本はワルター・ロケット発動機の製造権を2千万ライヒマルクで購入し、見本発動機と製作図面をドイツから取り寄せた。(注:図面のみ実物は取り寄せていない) メッサーシュミットBの正確なコピーが日本で「特呂2」発動機を使用して制作された。この機体はシュウスイと命名され、数機の機体が製作されたが、ロケット生産が間に合わずただ一回の試験飛行が行われたにすぎず、この時には離陸直後に墜落しパイロットは死亡した』という記事である。

 またこの記事では、ドイツの垂直カタパルト使用の単座ロケット目標防衛戦闘機「バッヘム B20 ナッター(高度1万メートル到達まで1分・・・攻撃後乗員はパラシュート降下)」の生産計画が日本でもあったことも書かれているが、真偽は定かではない。

33号

81号
2009年2月12日紹介

第二次世界大戦ブックス
 33号
 『ロケット戦闘機』
中野五郎氏監修
 1972年4月27日発刊
 500円(当時)

 81号
 『幻の戦闘機』
碇(いかり義朗氏監修)
 1980年8月11日発刊
 900円(当時)
当時、サンケイ出版から発売されていた第二次世界大戦ブックスは、戦争を知らない10代から20代の読者層に向けて、戦時中の技術や戦術について比較的簡単に説明したシリーズ本だった。

 『33号 ロケット戦闘機』
 ロケット戦闘機が第二次大戦末期に空の主役にならなかったのは、ドイツ・日本とも時間と資源という問題がネックになったためだという冒頭の説明から始まり、メッサーシュミットMe163b「コメート」の飛行に至るまでの経過がわかりやすく書かれている。ソ連でもロケット迎撃機B-1の開発が進んでいたが、1943年3月に試験飛行の際に墜落空中分解し、50機のB-1生産計画が中止になった記事もある。
 また、ドイツの垂直射出「バッヘム Ba349ナッテル(ナッターと同じもの)についても、当初の衝突攻撃からミサイル攻撃方式に変わったことなどが書かれている。

 『81号 幻の戦闘機』
 「秋水」「烈風」「震電」など実戦に投入されないまま終戦を迎えた戦闘機を「野心的な試み」という側面からわかりやすく論評している。
 「秋水」は陸軍・海軍・民間(三菱)の三者による「呂号委員会」により急進的にプロジェクトが進行したが、燃料配管の位置の問題など精査することなく試験飛行に臨んだために墜落という結果に終わった。この他にも、ゼロ戦の偉業により後継機に対する性能要求が過大になった結果、開発が遅れた「烈風」のこと。飛行機設計者は操縦技術者でなければならないという海軍の思想のもと鶴野正敏技術大尉のリーダーシップで海軍航空技術敞で開発が始まった「震電」は時速800㎞も可能な高速迎撃戦闘機であったが、九州で試験飛行を成功させた際にも高性能エンジン「誉」はまだ完成していなかったこと。など・・・・終戦当時の航空技術者の焦燥感と悔しさがにじみ出てくるような記事が多い。