(旧) 海軍航空隊神之池基地
住友金属工業鹿島製鉄所 桜 花 公 園
2012年3月15日更新


(写真左 )桜花公園全景 右手の石碑が「桜花隊員錬成の碑」 左手の円形の碑が「公園の由来」
(写真右) 掩体豪内に展示されている桜花11型復元機

【第一神風桜花特別攻撃隊神雷部隊】 1945(昭和20)年3月21日 一式陸上攻撃機に懸吊された桜花16機と支援戦闘機は30機は、鹿児島県鹿屋基地より沖縄攻撃中のアメリカ機動部隊に向けて特攻発進しました。特別攻撃は期待できる戦果は未知数であるにもかかわらず、その目的から出撃した時点でこちらの被害は確定している悲壮な死出の旅です。「神雷部隊」陸攻隊の隊長である野中五郎少佐は『この槍使い難し』と最後まで出撃に反対していました。初出撃の野中隊長率いる神雷隊は米軍機の猛烈な迎撃に遭い、直ちに桜花を切り離し待避しましたがわずか数十分のうちに全滅、当初の目的を果たすことなく160名が戦死したのです。彼らの多くは、海軍航空隊神之池基地(現在の住友金属工業鹿島製鉄所付近)で訓練を受けた若者達でした。


(左)神雷部隊桜花隊出撃の様子 (右)一式陸攻より切り離される桜花 wikipediaより

【桜花とは】 「海軍横須賀航空技術廠(空技廠)で開発された航空機」のページもご参照ください。

【海軍航空隊神之池基地】 1944(昭和19)年、海軍航空隊神之池基地が開設され、その後戦争が激しくなるにつれ721航空隊と改称されました。721部隊は海軍百里原基地で特別攻撃隊として結成された若き航空兵達がこの地に移り、「神雷部隊」として特攻機「桜花」の訓練を行っていました。桜花と同型の練習機K−11を用いて危険な滑空訓練が繰り返されていました。訓練の内容は、爆弾と同じ重量の水を搭載した桜花練習機を上空で一式陸攻から切り離し滑空した後、水を放出し基地に帰還し橇(ソリ)を用いて定着(着陸)するという危険なものでした。


製鉄所開所当時の地図:神之池基地(飛行場)の位置がわかる

【掩体豪の中に桜花の復元機を展示】 桜花公園は、住友金属工業鹿島製鉄所の敷地内、国道239号、バス停住友金属工業前にあり、会社の好意により一般開放されています。公園の入り口にある「公園の由来」の碑には、「先の大戦の記憶を風化させることなく平和への思いを新たにするために」と記されています。掩体豪(えんたいごう)はコンクリート構造で、高さは4.4m、間口15.3m、奥行き13.0m、最大コンクリート厚70cmと記録されています。


公園内にある元隊員有志により建立された『桜花錬成の碑』


掩体豪内に展示されている桜花11型復元機

掩体豪を道路側からみると小山のようで目立たない。裏手にまわり込むと構造体と桜花展示機が確認できる


JR鹿島線「鹿島神宮駅」と住友金属工業鹿島製鉄所「桜花公園との位置関係

「桜花公園」の位置図と公園敷地内の配置

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