施設名称をクリックしてください。 該当施設の説明にジャンプします。

更新日 施設名 概要
2014/05/26   筑波海軍航空隊記念館    
          /地下戦闘指揮書
 映画「永遠のゼロ」の撮影場所となった海軍航空隊記念館や地下戦闘指揮所など笠間市旭町周辺に点在する戦時遺跡 
2012/03/15  桜花公園 住友金属鹿島製鉄所内  桜花の訓練基地であった敷地内に桜花復元機を展示
2010/08/20  愛川町郷土資料館(神奈川県愛甲郡)  (旧)相模陸軍飛行場のパノラマ展示
2008/08/10 山本五十六記念館 (新潟県長岡市)  料亭小松など横須賀関連記事も記載
2008/03/01 遊 就 館 (靖国神社敷地内)  幕末から現代に至る経緯と史実・特攻機桜花などを展示
2008/03/01 松代大本営 象山地下壕周辺  本土決戦に備えるため天皇とともに大本営移設計画があった
2008/03/01 所沢航空発祥記念館  年間来場者23万人以上の実績を持つ体験型航空博物館
2008/03/01 海軍の碑 横須賀市ヴェルニー公園内  世界三大海軍の一つとして発展を遂げた日本海軍の歴史を偲び平和を祈念
2008/03/01 青森県立三沢航空科学館  航空の街 三沢にふさわしい夢・希望・挑戦のキーワードを体験する
2008/03/01 長岡戦災資料館  模擬原子爆弾が投下された街。 長岡空襲の悲劇を忘れない

  トップページに戻ります


遊就館 千代田区九段北3-1-1 TEL:03-3261-0998(直通)

 明治15年 我が国唯一の軍事博物館として開館した遊就館。近代国家成立と自存自衛のため、避け得なかった多くの戦いについて史実を展示している。それらの戦いに尊い命を捧げた多くの軍人を英霊として写真展示がなされている。「靖国神社」についてはさまざまな政治的な論議もあるが、実際に特攻や女子衛生班として病院で戦死した人々の写真を前にすれぱ、畏敬の念をもって自然な心で展示に接することが出来る。
 桜花の特攻パノラマの前にモニターがあり、終戦間際の日米の航空機生産量の比較を女性キャスターが行い、特攻隊の生還者の方のインタビューが効果的に挿入されていて、平和に対する大切さを再認識させてくれる。しかし、教科書問題について「高校教科書に特攻についての記載がない」ということをキャスターが話すことで政治的な問題が顔を出してしまう。特攻も沖縄での民衆の自決も戦争の犠牲という点では同じ重さであるべきだ。
 都会の一角の緑に囲まれた境内のベンチは、血染めの女子挺身隊の日の丸を見学した後で、戦争に殉じた人々に対して個人としてどのように気持ちを整理しようかと考えるにふさわしい場所である。



写真(上左) 遊就館外観 (上右) エントランスホール 零式艦上戦闘機52型
(下左) ロケット特攻機 桜花U型 (下右) 艦上爆撃機 「彗星」


JR総武線(中央線)市ヶ谷駅から徒歩12分


松代大本営 象山地下壕周辺 長野県長野市松代町清野 長野電鉄屋代線 「象山口」駅周辺

長野市役所松代支所 026−278−2280


(上左) 公開されている地下通路部分は補強済み     (上右) 象山地下壕入り口

 この地下壕は、太平洋戦争末期、米軍が太平洋を制圧し、日本本土空襲が始まると、天皇とともに大本営(当時の天皇の下に置かれた陸海将校で構成する指令機関)をここ松代に移設して、本土決戦に備えるために計画されたもの。小さな村を囲むような三つの山の地下に、(象山、舞鶴山、皆神山)の3箇所が掘削され総延長11キロメートル以上に及ぶ地下壕が建設され、また舞鶴山地下壕付近の地上部には、天皇御座所、皇后御座所、宮内庁として予定されていた建物も残っている。しかし、この長大な地下壕は、その機能を果たすことなく終戦を迎えた。
 象山地下壕の入り口の左右には『不戦の誓い』の碑と『松代大本営朝鮮人犠牲者追悼平和記念碑』が建っている。地下壕の保存と公開には私立篠ノ井旭高校の学生達の研究活動、『追悼碑を守る会』や『もう一つの歴史館建設実行委員会』などの市民団体の寄付金活動と、長野市の積極的なサポートがあってこそ実現したものだ。現在は年間13万人が訪れる学習スポットになっている。

 太平洋戦争末期、初期の計画では、象山地下壕に、政府機関、NHK、中央電話局の施設を建設。皆神山地下壕に皇居、大本営の施設が予定されていた。しかし、皆神山の地盤が脆く、舞鶴山地下壕に皇居、大本営を移転する計画に変更された。また皆神山地下壕は備蓄庫とされた。

A 展示室
A 象山地下壕入口
A 恵明寺
B 県立松代高等学校
C 開善寺経蔵
C ロ地区衛門
D 西楽寺
D 清水寺
E 地震観測室
F 皆神山地下壕
G 二号倉庫
H ホ号倉庫
I ヘ号倉庫
J ト号倉庫
K チ号倉庫
L リ号倉庫

【二つの地下壕】

 1944(昭和19)年11月11日11時11分、縁起の良い時刻に、象山にて最初の発破が行われ工事が開始された。日本人が約3,000人、朝鮮人が約6,000人で12時間二交替で工事に当たったとされる。述べ人数で300万人と、当時の金額で2億円の工事費が投入されたと言われている。1945年8月15日の終戦により、全体の約75%が進捗した段階で工事は中止された。  (出典:一部フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』より)

1.象山(イ号倉庫)

 現在の地下壕見学入り口(恵明寺)がある山。東部軍の付帯設備とNHKなどが入る予定だった。東西に20本の本抗が20メートル間隔で、南北に5本の連絡抗が50メートル間隔で掘られ、総延長は5.8kmにもなる。このうち入り口から500メートルのところまで支保工で補強されて公開されている。壕の内径で最大のところは幅7.5m×高さ2.7m。

2.舞鶴山(ロ号倉庫)

  大本営と天皇の避難用地下宮殿(御座所)のために建設された。全長は2,671mで、この地下壕の上に3棟のコンクリート建物が現存している。この建物は当時@皇居(天皇御座所)A皇后居室B宮内省で、空襲がある時には地下宮殿に避難する計画だった。現在は気象庁地震観測所として、また地下壕には包括的核実験禁止条約に基づく核実験監視の国内唯一の観測点がある。
 地震観測室から地下にいたる階段までが公開されており、松代群発地震の記録なども見ることができます。


(上左)  象山地下壕の総延長は5.8q  (上右) 舞鶴地下壕は大本営予定地。現在は地震観測所がある


(上左) 大本営壕内部は現在公開されていない   (上右)  地震観測所に至る地下階段

(上) 手前物が地震観測所上屋 (旧皇后居所)
   右手奥の建物が当時の天皇御座所

【修復・保存への取り組み】

 松代大本営の工事は、多くの犠牲のもとに全体の約8割完成したところで敗戦となり、その後40年間地下壕は人々から忘れ去られていた。  
 しかし1985(昭和60)年、地元の私立篠ノ井旭高校の高校生によって、この地下壕を戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えるための戦争遺跡として保存しようという活動が始まった。学生達は、修学旅行で沖縄のガラビ壕を見学して、戦争の悲惨さを学習し、自分たちの近くにも壕があるということで調査をした成果だった。この活動は大きな市民運動となり、1990(昭和65)年には象山地下壕の一部(片道500m)が長野市によって一般公開された。

【壕の保存と運営にかかる経費】

 地下壕は一般公開以来、年間10万人を超える見学者が訪れている。長野市は松代大本営地下壕(象山部分)の修復と保存に約7,000万円を投入した。現在でも、壕の安全管理は長野市が民間会社に委託して運営している。1年に2度の安全点検の他、電力、循環濾過式バイオトイレ賃借料などの維持管理に年間1,000万円を支出しているが、公開は無料で行っていることは評価すべきである。


所沢航空発祥記念館   埼玉県所沢市並木1−13 рO4−2996−2225

 県営所沢航空記念公園内にある体験型の航空博物館である。1911年(明治44)年4月、フランスの「ファルマン飛行学校」に留学し帰国した、徳川好敏大尉の操縦による「アンリ・ファルマン」機が、日本で最初の動力飛行に成功した地であることをテーマに、平成5年埼玉県が建設し完成したもの。

 進駐軍施設の返還に伴い、1967(昭和42)年に「所沢航空資料 調査収集する会」が立ち上がり、学識経験者や地元代表を交えて基本計画を策定し、平成2年に埼玉県が52億円を投入し着工、財団法人「日本科学技術振興財団」に管理運営を委託し平成5年4月3日にオープンした。現在でも毎年23万人以上の来館者を獲得する人気博物館である。維持費は年間3億円程度。

【横須賀は海軍航空発祥の地へ】
 「アンリ・ファルマン」機の所沢での初飛行後、1912(明治45)年6月15日、横須賀市追浜(夏島)の海岸に、水上機の研究開発を目的として「海軍航空研究委員会」が発足し、海軍航空機の初飛行は追浜を主基地として行われた。横須賀市夏島町にある貝山緑地内には、昭和12年11月2日に建立された『海軍航空発祥の地』の碑がある。本ホームページの「KATO,Kazuhiro Collection 絵葉書」にファルマン型水上機が追浜に着水している写真がある。このファルマン機は、アンリ・ファルマンの弟のモーリス・ファルマンの製作によるものではないか(所沢航空発祥記念館 学芸員の近藤亮氏からのヒアリング)と考えられる。


(上左) Kato Collection よりファルマン式水上機  (上右) 横須賀市夏島町 貝山緑地内「海軍航空発祥の地」の碑

↓以下は所沢航空発祥記念館の写真です↓


(写真上)所沢航空発祥記念館外観  (下) アクセスマップ

西武航空公園駅を下りるとYS−11の巨体が出迎える 室内展示スペース 日本初国産軍用機会式一号機など
ジャンボ・ジェットのフライトシミュレータが体験できる。 アンリ・ファルマン機 国内初の動力飛行


海軍の碑   横須賀市ヴェルニー公園内 

 一寒村から、ペリー来航を経て開国の街となった横須賀、そして、近代海軍の創設と成長に大きく貢献した横須賀。昭和20年の戦争終結とともに歴史を閉じることになった海軍の歴史を振り返り戦争犠牲者を追悼し、平和を祈念する目的で、平成7年11月に『海軍の碑』が有志により建立された。


 海軍の碑の周囲には『正岡子規文学碑』、1917年横須賀海軍工敞で竣工した世界最大級の戦艦『山城之碑』、『軍艦長門碑』などが建っているが、やや片隅に寄せ集められたようで寂しげである。

 海軍の碑があるヴェルニー公園は、JR横須賀駅を下車、海上自衛隊横須賀地方総監部と米海軍横須賀基地を対岸に見ながら横須賀市の中心市街に至るポードウォークがあるフランス庭園式の臨海公園である。中央部に横須賀製鉄所建設に関わったフランス人技師ヴェルニーと、当時の勘定奉行小栗上野介の碑が建つほか、国指定文化財の0.5トンスチーム・ハンマーを展示する「ヴェルニー記念館」や、カフェレストランなどがある。



青森県立三沢航空科学館  青森県三沢市大字三沢字北山158 п@0176-50-7777

 (1)1931(昭和6)年に太平洋無着陸横断飛行を果たした『ミス・ビードル号』の離陸地点である淋代海岸が三沢市にあること。
 (2)1938年に周回航続距離の世界記録を樹立した『航研機』の設計製作が近隣市町村の出身者の手により行われたこと。
 (3)三沢空港をはじめ航空自衛隊三沢基地や米海軍基地など日常的に航空機が身近にある環境であり、航空機を介して『夢・希望・挑戦』という施設のコンセプトを明確に打ち出せる点・・・・など地域的な資源がそろっている体験型科学館である。千代田区にある科学技術館を運営している「科学技術振興財団」が指定管理者として運営に参加していることから、訪問者を飽きさせない展示が行われている。
   
   (上左) 太平洋無着陸横断飛行を果たした『ミス・ビードル号』  (上右) 周回航続距離の世界記録を樹立した『航研機』
   
     (上左) 航空機(基地から牽引された実機)が屋外展示されている「大空ひろば」  (上右) エントランスホール

 展望デッキ付き地上2階建ての建物内は、航空ゾーンと科学ゾーンに大別される。航空ゾーンは航空機の歴史と構造に主テーマが置かれている。「ミスビードル機」、「航研機」、「YS−11」などの実物モデルが展示されており、DC−9の実際のコクピットに座り離着陸が体験できる設備などが配置されている。体験ゾーンは、重力体験や気象体験を通じて、理科を楽しく驚きを持って学べる。「飛ぶということは、こういう原理なのか」と納得できる体験型展示だ。


(上左) 2台のフライト・シミュレータは実際の飛行場を設定し飛ぶ  (上右) 重力体験装置


長岡戦災資料館  〒940−0062 新潟県長岡市大手通 2−1−2  0258-36-3269 

昭和20年の夏の日を忘れない。


長岡戦災資料館入り口部分 1階が展示スペースで訪問者に丁寧な解説をしてくれる。

 長岡市は、大手の金属・機械加工工場などがあったために、米軍の空襲の標的にされ、1945(昭和20)年7月20日に模擬原子爆弾が投下された。この長崎に投下したものと同型の4.5トン爆弾は新潟市が原爆投下予定地であったことを伺わせる。しかし、模擬爆弾の投下目標を工業集積地からはずして誤投下したのは、サイパンから飛来した「超空の要塞」B29爆撃機が航続距離の関係でゆっくり目標を捕らえる余裕がなかったためと考えられる。そして、続く8月1日深夜には、125機のB29による大規模な焼夷弾絨毯爆撃が行われ、1,476人の市民の命が失われた。

 写真は1階部分
この他3階には児童・生徒が空襲体験談を聞いたり学習をしたりする企画展示室兼講堂がある。

 長岡戦災記念館は、空襲で被災された関係者、殉難された遺族の方々からの遺品等の提供、そして、昔の記憶をたどっての被災地地図の作製を経て、2度と戦争は起こしてはいけないと固い決意をされた関係者の願いが実り、2008年7月に、リニューアルオープンしたものである。

 運営は長岡市が主体的に行っており、多くのボランティアが運営に協力している。他都市ならば、資料館という性質から「教育委員会」などが管轄することになるだろうが、こちらの資料館は「総務部」所管であるという。やはり平和に関する事業を市民総体で維持していこうという意思の表れだろうか。

 長岡市から横須賀市の海軍工廠に多くの女子挺身隊が、勤労動員されてきたという。この資料については、資料館が現在展示準備中ということで、本ページにも情報を補強したい。


(左)JR長岡駅から5分とかからない。 (右)山本五十六記念館などを巡る周遊ルートもおすすめだ。


 施設一覧に戻ります