横須賀の明治から昭和初期の歴史を語るときに、追浜海軍航空隊や海軍航空技術廠の存在を忘れてはならない。大正時代に航空基地の必要性から埋め立てられた広大な敷地は、現在は平和産業集積として活気に充ちている。
 緑豊かな夏島貝塚と貝山緑地の内部に縦横無尽に張りめぐらされた巨大な海軍壕は、語り継がなければならない歴史的な資産である。現在は保存状態が悪く崩落や水没箇所が多く危険であるため一般見学は不可能であるが、これらの海軍壕が歴史資産として修復保存されることを強く願う。あわせて、ここに、当時難航したであろう壕建設の様子や航空機の格納状況、海軍生活の様子を復元すれば、活きた横須賀近代史の教科書となり歴史・産業観光にも貢献できると考える。

夏島海軍壕     貝山海軍壕     周辺の史跡・構造物など  野島掩体壕


 夏島・貝山海軍壕は、鉄道駅から離れており、徒歩では30〜40分を見込んだ方がよい。京浜急行「追浜駅」から京急バス『追浜7系統 、田浦17系統、追浜3系統』で「日産自動車前」で下車すると便利である。かつての追浜海軍航空隊(横空)の飛行場は現在日産自動車工業株式会社のテストコースになっている。また、海軍航空技術敞(空技敞)の建物は民間事業所が使用していたが、現在解体されて横須賀市による説明碑が建っている。


 夏島海軍壕は、国指定史跡である「夏島貝塚」がある山の地下に配置されている。貝塚の入り口には「明治憲法起草の碑」がある。貝塚は横須賀市教育委員会が管理している。現在は一般公開されていない。地下壕部分は最大のもので幅20m、高さ8mと巨大である。壕の全長は約1800mにもなると言われている。3層構造の壕で、第1層は海軍追浜航空隊の「零戦」やロケット戦闘機「秋水」の格納のためやに設営されたのではないかと思われる。


(上左) 夏島貝塚外観   (上右) コンクリートで塞がれている地下壕入り口 幅は20m以上


(↑)  第一層部分の地下壕現状図 (歩測・一部は目視のみ)


(上左) 内部は巨大な空間が広がるが崩落で危険  (上右) 床にはクレーン基礎のようなものが30mにわたり並ぶ


(上左) 内部天井に電線用碍子(ガイシ)   (上右) 外部の発射台のような構造物


(上左) 山頂貝塚付近にある監視塔のような鉄塔 (上右) 山頂にある煉瓦構造物、東京湾に向けての砲台か


(上左) 山頂は破壊されたように石積み構造物が崩落している
(上右) 神社鳥居の礎石か昭和(X又は五)年六月二一日建立となっている。


 貝山地下壕は、横須賀市浦郷町5丁目の貝山緑地の下にあり、横須賀海軍航空隊の指揮所や物資の格納庫として使用されたと考えられる。地下壕の中には、会議室のような独立した小部屋があり、昭和天皇の「ご真影」を掲げたのではないかと推測される壁面も確認された。当時の煉瓦カマドや水場の跡、海軍の錨マークのついた食器なども残っている。公開はされていない。

 (↑上絵図) 確認できた地下壕。地下壕の全長は『松代大本営』で有名な長野市松代町にある「象山地下壕」の5.8kmより長いとされているが全容は不明。上の絵図は歩測のため正確な位置を示すものではない。


 (上) 貝山緑地入り口 地下壕への入り口は裏手の浄化センター側

(上左) 浄化センター側の大きな格納庫 (上右) 内部を網羅する暗く長い壕


(上左) 壕内部に会議室のような空間がある。
(上右) その会議室の頭上に額を入れるような枠がある。「御真影」を飾っていたか。


(上左) 炊事場か?カマドがある。 (上右) 煉瓦製シンク(洗い場か?)


(上左) 床の凹凸は運搬線路のための枕木跡か? (上右) 壕内から山頂付近に至る50段の階段


(↑上) 壕内に残された食器、海軍の錨マークが付いている。


 横須賀海軍航空隊や海軍航空技術敞に係わる史跡や建物を巡り、あわせて、当時の軍事基地として使用されていた地域が、軍転法により平和産業に転換している様子を探訪するのも有意義だと思う。

@ 明治憲法起草記念碑   A 烏帽子巖の跡   B 海軍追浜航空隊裏門跡(構造物なし)

C 貝山杏の里計画地  D 予科練発祥の地碑・横空神社  E 鎮魂の碑・海軍航空隊発祥の地碑

  F 海軍航空技術廠跡  G 天皇行幸碑  HI 海軍建物 (日本和紡) (日神機工配送センター)

J 深浦湾の景観  K 榎戸の渡船 (構造物なし)  L 深浦陸橋(魚雷試験場)  M 日産自動車追浜工場

N リサイクル施設アイクル  O シーレックス・スタジアム 

@ 夏島貝塚と明治憲法起草記念碑

 夏島貝塚は、縄文時代早期(約9500年ほど前)のもので、我が国のもっとも古い貝塚の一つで国に史跡として指定されている。昭和25年と30年の2回にわたり調査が行われた。この貝塚出土として復元されたものに「夏島式土器」がある。
 写真は「明治憲法起草の碑」。伊藤博文を中心に井上毅・伊東巳代治・金子堅太郎が、夏島の伊藤公別荘に合宿し約三月をかけて憲法を起草した。大正15年になって「夏島憲法起草遺跡記念碑」の建立を計画し場所を夏島の伊藤公別荘跡地と決めた。その頃、追浜海軍航空隊が開設され、飛行場拡張のため追浜と夏島間の海を埋め立ての影響で200m程移動して現在の位置になった。


A 烏帽子巖の跡

 烏帽子岩は「烏帽子島」とも呼ばれ、追浜の海浜に突き出ていた。大正7年に海軍航空隊の建設にともなう飛行場敷設のために切り崩され消滅した。烏帽子岩は標高15メートル周囲200メートルの烏帽子の形をした小島で、対岸の夏島と対をなし風光明媚な場所であったという。本碑は昭和2年に建立されたが、日産自動車の拡張埋め立て工事のために昭和57年に現地へ移設した。


C 貝山杏の里計画地

 平成16年12月16日、貝山緑地を新たな地元観光資源にするために有志(企業・商店会・自治会・各種親睦団体・個人)による寄付を受け『杏の里』計画の一環として植樹が行われた。収穫された杏の実は加工されて「杏ワイン」として地元ブランドを確立している。


D 予科練発祥の地碑、横空神社(追浜神社?)

(左)予科練発祥の地碑
 昭和5年6月1日、横須賀海軍航空隊の一角に海軍少年航空兵の養成機関として、『横須賀海軍航空隊予科練習部』が誕生し、やがて「予科練」と愛称されるようになった。志願者の年齢は15歳から17歳、修業年限は3年間だった。やがて戦局の激化にともない昭和14年3月「予科練」は霞ヶ浦に移転し翌年「土浦海軍航空隊」となった。昭和56年6月1日この地で学んだ有志により『予科練発祥の地』碑が建立された。
(右)追浜神社石標
 本ホームページ作成時点で、「追浜神社」の石標が『横空神社』の位置と同一であるのかは確認が出来ていない。光人社刊「横須賀海軍航空隊始末記」には著者の神田恭一氏の記述として次のように書かれている。 転載をお許しいただきたい。『横須賀航空隊の南側にある丘陵上には、松と桜に囲まれた横空神社があった。丘陵の向こう側はすぐに航空技術敞となり、神社の前方には横須賀湾が広がって、横須賀軍港から猿島を眺めわたすことが出来る。この横空神社には横須賀航空隊において殉職した幾多の搭乗員達の英霊が合祀されている。』・・・・この記述から判断すると、貝山緑地の麓の「追浜神社」の石標は「横空神社」を示すものではないかと推測できる。


E 鎮魂の碑、海軍航空隊発祥の地碑

(左)鎮魂の碑 
 昭和12年9月1日、予科練に将来の中間幹部養成のための甲種飛行予科練習生(甲飛)が採用され、以来第16期生まで139,720名の海軍操縦員(士官兵・甲・乙・丙予科練習生併せての数)が各地の航空隊に配属された。しかし、戦局の悪化により多くの若い命が失われていった。この碑は平成9年11月2日に同窓の冥福を祈り平和を祈念する目的で、「甲飛」生存者有志と一般賛同者が建立したもの。
(右)海軍航空発祥の地碑
 明治45年、「海軍航空術研究委員会」が発足し10月にこの地に格納庫が建設された。11月2日、河野三吉海軍大尉がカーチス式水上機を操縦、11月6日には金子養三海軍大尉がファルマン式水上機の操縦飛行を成功させた。このことを記念し昭和12年11月2日に横須賀海軍航空隊の手により「海軍航空発祥の地碑」が建立された。


F 海軍航空技術廠跡

 (左)平成17(2005)年11月、旧海軍航空技術敞(北辰工業株式会社)の本部庁舎は解体され、現在は(右)当時の航空技術敞の配置や建物の様子を解説する文化財説明板が立っている。


G 天皇行幸碑

 昭和13(1938)年8月11日、昭和天皇が海軍航空敞に行幸(来訪)、作業などを視察されたことを記念し、海軍航空敞長原五郎中将が建立したもの。海軍航空技術敞跡の文化財説明板の横に現存する。


H 海軍建物(日本和紡)                I 海軍建物(日神機工配送センター)

 (左)日本和紡 海軍航空技術敞の本庁舎に隣接するこの建物は、研究所棟であったと思われる。
 (右)日神機工配送センター 深浦湾の入り口に位置するこの建物は、飛行機力学研究所であったと思われる。


J 深浦湾の景観

 深浦湾は対岸に吾妻島(現在は米海軍の箱崎石油ターミナル)を臨む眺望に優れた入り江である。


L 深浦陸橋(試験水槽−魚雷試験場)

 市道深浦線の追浜隧道付近にある奇妙な橋は、「試験水槽」用の構造物。魚雷などの研究が行われたという。海軍航空技術敞の本庁舎裏手まで400m以上の長さがあったと思われる。


M 日産自動車追浜工場

 旧軍港市転換法の主旨を活かし、夏島に誘致された平和産業である。従業員4800名を擁し、マーチ・キューブ・ティーダなどを生産。工事用見学も積極的に受け入れている。   http://www.nissan.co.jp/INFO/FACTORY/OPPAMA/index.html


N リサイクル施設アイクル (Aicle)

 ごみは資源物という観点に立ち、リサイクル等を積極的に進め、循環型社会を形成を目指す横須賀市の施設。Aicleで回収された資源物は、再生工場やメーカーを通して再び新しい製品に生まれ変わり私たちの生活に返って来るという主旨。しかし、ここ最近は、本市のみならず回収済みの容器・プラなどの再生が滞っているとの指摘もある。 http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/aicle/11.html


O 横須賀スタジアム(シーレックス・スタジアム)

 湘南シーレックス(しょうなんシーレックス、SHONAN Searex)は、プロ野球球団・横浜ベイスターズのファーム(二軍、イースタン・リーグ所属)のチーム名称。本拠地は横須賀スタジアム http://www.baystars.co.jp/searex/realtime/index.php

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