秋 水 復 元 

三菱重工業(株) 名古屋航空宇宙システム製作所 小牧南工場 取材記
2012年7月14日 史料室見学記を全面リニューアル更新 

 1961(昭和36)年6月、横浜市金沢区昭和町の日本飛行機株式会社(ニッピの愛称)杉田工場(旧富岡工場)の敷地内地中から、『秋水』の機体が発掘されました。この機体は日本飛行機富岡工場第5号機と推測されますが、ここから三菱重工と大起工業の協働による秋水復元のドラマが始まり、日本初のロケット戦闘機「秋水」の名前を全国に広める結果となったのです。その復元の過程を取材しました。
苦労を克服できたのは『未来の秋水をつくる』という夢のおかげです
秋水の復元プロジェクトのリーダーに聞く


 (左) 岡野允俊 史料室嘱託 (元室長)
 (中) 大起産業株式会社 航空機事業部
    寺澤伸吾課長(復元リーダー)
 (右) 秋水プロジェクト より佐久間




   
   当時の製作日誌を振り返る寺澤氏
 秋水の復元作業時の苦労話などをお聞かせ願いたいとの申し出に、史料室嘱託(元室長)の岡野允俊氏、そして同じ三菱重工業内に事務所をもつ大起産業(株) 航空機事業部 組立課の課長である寺澤伸吾氏が快く応じて下さいました。寺澤氏は秋水復元プロジェクトの現場リーダーとして、1997(平成9)年の航空自衛隊岐阜基地より秋水の出土機体を受領してから完成まで、機体の調査、旧海軍の図面の解析、復元図の作成そして組み立て管理など一貫して秋水復元にリーダーシップを発揮してこられた方です。

 以下に一問一答形式でインタビューを載せました。

【寺澤さんにとって秋水復元の意味は】
 搬入された機体は製造途中で終戦になった未完成の秋水です。当時製造に携わった方々の苦労や想いを胸に、この機体を完成させることでした。「もしも終戦にならず、この機体の製造が進み完成したら」を前提に復元作業を行いました。「復元」というよりも「未来の秋水」を創ると云う表現の方が正しいのかもしれません。夢と責任のある作業でした。

【制作過程でいちばんご苦労された点は】
 ・綺麗な完成形の機体をつくるのか、実戦時(試験飛行時)のイメージを出すのかでまず論議しました。三菱重工内の生産技術課の協力を得て、復元プランスケッチを参考に美しい秋水をつくろうと決めました。

【復元に関わったスタッフは何人でしたか】
 ・7人が復元プロジェクトチームを組んで3年がかりで仕上げました。

【今回の復元機は秋水試作機のうち何号機でしょうか】

 ・秋水は生産初期段階で設計変更があり、号機により仕様が異なる為、復元機の号機を指定する必要がありました。終戦当時の生産数(日飛)と写真を比較し、この機体のタンクエア抜きダクトの進捗状況から量産5号機ではないかと推測できます。


【秋水の展示によって史料室訪問者数の推移は】
 ・(岡野史料室嘱託) 着実に上昇しました。多いときで月間1,000人、毎年5,000人程度の見学者を迎えています。より多くの人達に三菱のファンになっていただきたい。

【復元部位ごとに解説をお願いできますか】
 ・それでは別リンクでご説明していきましょう。下部の選択リンクから「復元の詳細」へ入って下さい(管理者)。
 (写真上) 航空自衛隊岐阜基地から搬入された機体は上図ピンクの枠部分のみだった。
出典:別冊航空情報「精密図面を読む」(松葉稔氏作図)より

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