空技廠の所在地と建物配置について
2010年4月17日更新

 海軍 航空技術廠は現在の横須賀市夏島町から浦郷町にかけて広大な面積に、研究・開発・実験の機能が集中配置されていました。
 航空機の開発は集約型産業であり、さまざまな設備が必要になります。下の配置図(リンク)でもわかるように、約44万uにも及ぶ広大な敷地一帯には、着水試験水槽や多数の風洞実験棟など最先端の施設が配置され、工員養成所(現関東学院大学周辺)や宿舎もあり34,000人にもおよぶ人々が勤務していたといわれています。

【空技廠 本庁舎について】

 空技廠本庁舎はGHQに接収され、旧大蔵省が管理し、昭和37年に北辰工業に払い下げられ、自動車部品の開発を続けていました。鉄筋コンクリート3階建て水平線を強調した威厳のある建物で、正面庇(ひさし)上には、集会・訓辞用のバルコニー状の張り出しがあり、柱には装飾が施されていました。昭和初期の公共用建築物として価値のある建物でしたが平成17(2005)年には惜しまれつつ解体され、北辰工業の協力を得て社有地の一角に「海軍航空技術廠本庁舎跡地」の碑が建っています。
 本庁舎解体跡に立つ「海軍航空技術廠本庁舎跡地」の碑
  
北辰工業株式会社より横須賀市教育委員会に寄贈された模型  
 平成17年の「空技廠」本庁舎の解体工事の際には、本庁舎の構造が、地震時などで建物に生じる応力(外からの力に対して抵抗する力)を巧みに逃がす「柔構造」であることがわかりました。   柔構造は、地震の多い日本に1,000年以上立ち続けている例もある五重塔の構造から構想を得たものともいわれています。しかし、柔構造は風圧により揺れやすくなる欠点もあり、現在では「免震構造」と併用して高層ビルを設計しています。

【空技廠の施設配置について】
Google の現状マップに終戦当時の配置図を乗せたもの

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