現代に活きる空技廠の技術
2010年4月17日更新

 1944(昭和19)年7月20日に、陸・海・民間による合同会議で開発が決定され、翌年の7月7日の試験飛行まで、わずか1年足らずで我が国初のロケット戦闘機『秋水』を完成させた空技廠の組織力。零戦の改良に大いに貢献した空技廠。数々の戦闘機の開発と審査に関わった空技廠の技術力。レーダーや30mm機銃の開発にあたった支廠の力量・・・当時の最先端の頭脳の集積である海軍航空技術廠は、終戦により解体されても優秀な技術者達は全国に散らばり、彼らの研究成果は現代社会に脈々と息づいています。現代に活きる空技廠の技術の一端を紹介します。

1.ガソリン直噴エンジンの原型をつくった空技廠

 現在でも三菱自動車などで生産されているガソリン直噴(GDI)エンジン。空技廠においても高空での性能向上をめざし、「無気噴油水メタノール噴射装置」を開発し「金星エンジン」に搭載しました。
 この技術はドイツのボッシュが世界に先駆けて完成させたディーゼルエンジンの無気噴射システムの応用でした。その後ダイムラー・ベンツによりDB601エンジンとしてメッサーシュミット戦闘機に搭載されました。またこのエンジンは現在日本でも応用されライセンス生産されています。

2.ジェットエンジン「ネ20」と戦後初のジェット機

(写真左)

 昭和17年、空技廠発動機部内にタービンジェットを研究する「第二科」が設けられ、「橘花」に搭載するターボエンジン『ネ20』が開発され、空技廠で20基が製造されました。型式名の「ネ」は「燃焼噴射推進器」の頭文字。最長試験運転持続時間は22時間でしたが、現代の国産ジェットエンジンの礎を築く研究となりました。
(写真右)

 昭和33年1月19日、宇都宮飛行場において初飛行を成功させた戦後初の国産ジェット機・・・航空自衛隊T1F1練習機は、ジェットエンジン「ネ20」搭載の特攻機「橘花」をつくった中島飛行機の後継会社ともいうべき富士重工の開発によるものです。空技廠に於けるジェットエンジン開発の成果は現代の平和産業によみがえりました。

3.KMX ソニーに引き継がれたプロジェクト開発方式

 空技廠は対潜水艦探知機KMX*を開発し、探知または撃沈に成功した数は15という実戦での成果を上げました。このKMX探知機の開発に際して、空技廠は組織内各部門または他機関・民間会社合同によるプロジェクト方式を組み臨みました。そこには初代ソニー社長の井深大氏も参加していました。戦後になって横須賀で開かれた「KMX会」の席上、井深氏は『難しい大物の仕事に直面すると、必ずプロジェクトチーム方式を編成して解決しソニーの役に立った』と語ったといわれています。
(写真左)

(* KMXとは) 昭和18年11月に「三式一号探知機」として制式採用された兵器。敵潜水艦の磁気を探知し警報を発するとともに目標弾を発射し潜水艦の位置を味方駆逐艦に知らせる。当時米国にはこのような兵器はなく、現在米海軍や海上自衛隊で対潜作戦に用いられているMADという探知機はこのKMXの原理を受け継いでいるという。

4.ビル内自家発電方式の開発

 ビルの地下に設置する自家発電装置は、コンプレッサーと発電機が一体になったもので、初期の製品は運転を始めると振動が建物全体に伝わり、どこが揺れているのかわからないという振動障害がしばしば発生しました。そこで基礎を二重としてその基礎と基礎の間に弾性ゴムを入れて発電装置を支えるようにして問題を解消ました。これも空技廠でのエンジンの振動防止技術の応用でした。

5.戦後のプラスチック(合成樹脂産業)発展の礎を築いた研究

 空技廠は太平洋戦争末期になりアルミニウムやジュラルミンなどの金属不足から、木製艦上爆撃機「明星」を松下飛行機とともに開発しました。その開発過程での、@接着剤の信頼性を高めた「ユリ3号」合成樹脂接着剤の開発や A木製型押しプロペラと金属部分との(高分子化学を用いた)接合技術などの技術は、今日の日本の合成樹脂産業発展の礎となっているのです。

6.宇宙開発の礎となった燃料と素材

 1952年サンフランシスコ講和条約によって、それまで禁止されていた航空機や推進機構の研究が解禁され、1955年8月6日には、故糸川英夫東大教授が秋田県道川海岸にて、ペンシルロケットの斜め発射に成功しました。この時の推進薬のヒントは、「空技廠」で対戦車などに用いるロケット弾用に開発された無煙火薬であり、ロケットの機体には、空技廠審査の戦闘機に用いられた「超ジュラルミン(中島飛行機に保管してあった)」が用いられています。近代日本の宇宙開発にも空技廠の技術が活きています。

7.新幹線開発の礎となった基礎振動学

 終戦直前「空技廠」では、急降下中に機体全体が激しい振動を起こし空中での破壊に至る原因となった「フラッター」の研究がすすめられていました。この研究は「基礎振動学」として、戦後の鉄道省官房研究所での鉄道車両の高速での「車輪蛇行動」の究明に役に立ちました。その後実物車両を乗せての時速300kmの高速実験設備が出来、「基礎振動学」は東海道新幹線計画の基礎を築きました。昭和38年3月には、951型(0系)新幹線が時速256kmの世界最高速度を実現しました。